こんな夢を見た。





   夢 十 夜−第五夜
 (聞こえた悲鳴は、彼女だったのかもしれない)





馬の嘶く声。
何処か遠くから聞こえる、自分の仲間らしき人々の悲鳴。
俺は目を閉じながら、そういった全ての物音に耳を澄ましていた。



ざく、ざく



此方へ近づいてくる足音に、閉じていた目を開く。
目の前へ立ちはだかったのは、相手方の大将らしい。



「ほう。あんたが、無敗と謳われた氷帝の大将か?」
「…」
「氷の若獅子といやあ、相当有名な大将じゃないか」

そりゃどうも。
目線で、返事をする。
敗けた自分は、許可なく声を出すことは出来ないからだ。
もっとも、相手は答えを期待しているわけではないのだけれども。


相手は俺の顔を眺めるのを止め、簡易な椅子にどっかりと座り込む。
そして篝火の光でギラギラ光る目を此方に向け、口を開いた。



「さあ。それじゃあ聞こう。

…生きるか、死ぬか?」




生きる、と答えれば、それは即ち降参を意味する。
死んでいった仲間たちへの裏切りにも等しい言葉だ。
しきたりとして聞かれるその問いに、俺は迷わず、「死ぬ」と答えた。


相手方の大将がニヤリと笑って立ち上がった所で、それを静止する。
敗けた者に、ひとつだけ、許されていることのために。




「会いたい奴がいる。少しだけ、待ってくれないか」









その頃彼女は、何も知らず馬を納屋から引き出していた。
…いや、或いは風の噂で知ったのかもしれない。
己の恋人の終の願いを知るよりも先に、裸馬へ飛び乗る。
鞍も鐙もないその馬の背にしっかりと捕まり、風のように駆け出した。








「ほう、会いたい奴なあ。女か?」
「……そうだ」
「氷の若獅子、日吉大将…あんたは色恋に興味ないと思っていたが」
「…」
「まあ、いい。鶏が鳴くまで待ってやろう。それまでにその女が来なければ…」
言われずともわかっている。俺は、あいつに会うことなく死ぬのだと。








疾風のごとく駆けていく彼女に、知らせが届いたのはその後のこと。
馬を急かす声は闇を裂き、それを聞く馬も高く嘶き速度を上げる。
遠くの戦場で空を染める炎の色を目掛け、蹄の音は大きく響く。

(暁までに、彼の元へ行かなくては)

間に合わなければ、彼は。









ぱちぱちと、火の爆ぜる音が聞こえる。
目を閉じているためわからないが、暁までもう間はないだろう。


   果たして彼女は、鶏の声に間に合うだろうか。


時折聞こえる誰かの足音や、火に枝をくべる微かな音にも、驚いて肩を震わせてしまう。


   …間に合わない、かもしれない。夜明けまで、もう時間がないのだから。


そのとき、誰かがこちらへと駆けてくる音がした。











荒い馬の鼻息と、闇になびく黒髪。
目指す先がようやく見えてきた、とき。


こけこっこう、という無情な声が、暁闇を切り裂いた。


はっと彼女は息を呑み、握っていた手綱を強く引く。
馬は止まりきれず、蹄を硬い岩に刻み込む。


こけこっこう、再び響く、時を告げる声。


絶望したような息を吐き、彼女は引いた手綱を力なく緩める。
突然緩められた手綱に馬は諸膝を折り、蹄を刻んだ岩から前につんのめる。



岩の下は、深い淵であった。













「…?さきほど、鶏の声が…」

駆けてきたのは、相手方の足軽だった。


「いや、聞こえなかったが。…大方、天探女(あまのじゃく)の仕業だろう。
ここのところ、騙される者が多くいるようだからな」

大将の言葉に、足軽も身に覚えがあるのか頷きながら下がろうとする。
そのとき、


こけこっこう こけこっこう


遅れたように、響き渡る声。
大将は息を吐きつつ立ち上がり、俺は諦めて目を閉じる。


「知らせが届かなかったか、来る気がなかったか。どちらにせよ、残念だったな」
「…」


刃が空気を切り裂く、冷たい音。


「大将!淵に、女が…」



再び駆け込んできた足軽の言葉を聞きながら、
俺の意識は、ゆっくり闇へと沈んでいく。


 天探女が鶏の声を…

    馬も一緒に落ちて…



(…この、命が尽きても)

天探女を、決して許しはしない。そう、心に決めた。