「…そこから突きが来る、か?」
「は、ッ!?」
「甘い」
不意を狙ったはずの一突きは、呆気なく彼の腕に阻まれた。




   いつ か の




「悔しい…絶対、いけると思った、のに…」

あたしが乱れた息を整えようとしているのに対し、目の前の奴は涼しい顔。

「俺相手でこれじゃ、父さんとは勝負にならないな」
「若が言い出したくせに、っ!」

教わってるから全く出来ない訳ではないけど、小さい時からやってる若にはかなうはず無いじゃない!




「テニス部が休みだから勉強を教えろ」と、メール(しかもかなり上から目線の)を送って来たのは若の方だった。
なのに、家に行ったら若は道場にいるという。
しかも「相手しろ」なんて無茶を言い出す始末。
…それで、こんなことになったんだ。


「若、酷い…」
「何がだ?ただ稽古してるだけだろ」
「だって、若が突然言い出すんだもの!」
言ったら、ぺしりと頭を叩かれた。
「突然だから上手く出来ない、ってのは言い訳でしか無いからな」
「むー…」

…別に、言い訳したかった訳じゃないんだけど。
最初からこんなことになるんなら、もっと昨日の練習頑張ったのに!…って、これがいけないのか。


「悔しいー!もう一回!」
「仕方ない、」
ニヤリ、と笑った若は、「が言うんなら」と言う。

(…狙いはこれか!!)

これでも一応、(若を除いて)門下生一の実力があるあたし。
おじさまとお兄さんが外出中、イコール手合せの相手がいないということ。

(勉強を教えろっていうのは口実か…!)


"幼馴染"というあたしと若の関係は、相手の思考をある程度読み取ることを可能にしている。
つまりは若もあたしの思考が読めるってことなんだけど…



「もっと腰を落とせ」
「はい、っ!」

いくら口が悪い幼馴染(しかも実年齢は一個下)でも、稽古では先輩。
だから、アドバイスは素直に聞くんだけど…
「足元ガラ空き、だ」
突然かけられたその言葉に驚いて、体のバランスが崩れる。

…あ、これ倒れるな…

思った瞬間、何故か視界がブラックアウトした。











***












え、
ええ!?
何で、という呟きは、目の前の危なそうな兄ちゃんコンビの声にかき消された。



ここ、公共の道路。兄ちゃんたち、交通の邪魔ですよ。
と言うよりも、さっきまで道場にいたのに何で道路の真ん中にいるんだ、あたし。
「謝れないの、キミ?」
「悪いことしたら"ごめんなさい"っしょ?」

…言われてるのがあたしだったなら、問答無用で謝り倒すだろう。それくらい恐い。
だけど、言われてるのは…



(ちびっこに絡むってどーよ!!)



自分が使わなくなってから随分久しぶりに見た、氷帝指定のかばん。
ということは、幼稚舎の子じゃないか。


「痛いなぁ。オニーサン、骨折れたかも」
「キミがぶつかったからだよ、キミが」
…いやいや、小学生がぶつかったくらいで骨が折れるか。
とツッコミを入れようとした時。






、ここにいたのか」
「わか、くん」



ちょっと色素の薄い髪の色。
鋭い目つきと、近寄りがたい雰囲気。
それでも、女の子を探してたのか息を切らせた上に目も潤んでる。
…ちびっこのくせにかっこいいな!
なんて、思ってたんだけど…


(…あ、れ?)



"" "わかくん"


目の前で交わされた会話に、出て来た名前。
それが"" "若"と呼び合うようになってからは消えてしまったお互いの呼び名だと気付くのに、
そう時間はかからなかった。




、早く帰ろう」

若が幼い"あたし"の腕を取り、目の前の兄ちゃんズを睨みつける。



…そうだ、思い出した。
これは、あたしが幼稚舎4年で、若が3年の時。

確かあの時、学校で嫌なことがあって…
それで、「帰るぞ」って言ってくれた若を振り切って、さっさと帰って来ちゃったんだっけ。
怒っても仕方ないのに、若はあたしを探しに来てくれたんだ…



今更知った事実(あの時は恐くてそれどころじゃなかったけど)に胸が温かくなるのと同時に、
これから起こることの意味を理解して思わずにやけてしまう。


確かこの後、若が真剣に稽古する、
そしてあたしが若と一緒に古武術を習うきっかけになった人が"あたしたち"を助けるんだ。



「あぁ?ガキが、お姫様助けに来たつもりか?」
「…うるさいのにかまってないで、はやく帰るぞ」


兄ちゃんズの片割れが、"わかくん"の登場に文句を付けて喧嘩をふっかける。
幼稚舎時代のわかくんは、今と違ってカッとなったら我慢出来ない。
チクリと彼が言ったイヤミに、喧嘩を売ったそいつが手を上げた。

「ふざけんじゃねーぞ、ガキ!」



パシリ、と受け止められた感覚に、目の前のそいつは目を見開く。


「ったく…ちびっこに手上げるなんて、最悪だね…」





あの時の"あたしたち"を助けたのは、









…そう、今のあたしだった。








「あぁ!?何だテメェ!!」
「え?ああ、通行人A」

なんてふざけてみたら、背後で昔のあたしと若が吹き出した。
…そうだな、宍戸っぽく言えば。


「弱いものイジメなんて、"激ダサだぜ"」
「…っ!!」



(…本当は"激ダサ"って言葉が一番ダサい気がするけど…ま、いっか!宍戸だし!)



"わかくん"以上の挑発に、兄ちゃんズは面白いほど簡単に乗っかる。


「テメェ…女だからって調子乗ってんじゃねェぞ…!!」


ほら、簡単に手を上げた。
だけど、日吉道場門下生一の実力なめるんじゃないわよ。
その間にあたしは古武術の構えを取って…


ついさっき若がやっていた技から、得意な技まで。
もちろん、構える時に腰を落とすのも忘れずに。

(…ん、確かにこうすると次の動きに入りやすいかも)

考えながら、寸止めの拳を目の前に叩きつけてやる。
それでびびったらしい兄ちゃんたちは、連れだって逃げていく。


「…っ覚えてろ!!」
「兄ちゃんズそれ死語ー!」


というか、捨て台詞が「覚えてろ」って…いつの時代よ。
思っても口には出さず(教育に悪いもんね!)、あたしはちびっこに振り向く。


「大丈夫だった?」

大丈夫なのは承知の上で聞いてみれば、こくこくと頷く二人。
「そう、なら良かった。じゃああたしは行くね」
すると"わかくん"に「あの、」と呼び止められた。
「なに?」
「あの…どうしたら、そんなに強くなれるんですか」


…あぁ、そういえば若、あの時そう聞いて困られてたっけ。



「んー…強い人と稽古すること、かな。
君も武術やってるでしょ?どんどん稽古するといいと思うよ」
ただし、とあたしは"わかくん"の耳に小さく囁く。


「この強さは人を傷付けるためのものじゃない。大切なものを守るためのものだよ。
…君なら、わかるよね?」


…いつだったか、若が言った言葉。
あの日から更に真剣に稽古するようになった若に、
「わかくんは何で強くなりたいの?」とあたしは聞いたんだ。





『…大切なものを守るため、だ』




きっと…これが、あの時の答えなんだろう。
何度聞いても教えてくれなかった、"見知らぬお姉さん"から若へのアドバイス。


わかくんが頷くのを見て、あたしは様子を窺っている""…あたし、の元へ。
近いであろうタイムアップの前に、あの言葉を伝えるために。


「…、ちゃん」
「は、はい!…え、なんであたしの名前…」

不思議そうな彼女にはお構いなしで、今よりずっと低いその身長に合わせて屈み込む。


ちゃん…強くなりたい?」
「え…」
「ただ守られるんじゃなくて、大切な人の隣にいるために…強く、なりたくない?」



それに"あたし"はこう答えるんだ。



「…強くなりたい…!!」


守られるんじゃなくて、自分の身を守るため。
そして、わかくんの隣にいるために。だから、強くなりたい。
そう、ずっと考えていたんだ。
あの時、まるで気持ちを汲み取ってくれたように、その人は優しく笑ったっけ。
そして、



ちゃんの思う通りにやってみて。きっと、上手くいくから」



迷っていた背中を、この言葉が押してくれたんだ。


強く頷いた、あの頃の"あたし"。
それを見て、あたしは自分の仕事が終わったことを理解した。


「よし、じゃああたしは行くね!!」

またいつか会おう、あの頃の"あたしたち"。

「ありがとうございました!」


幼い笑顔に見送られ、背中を向ける。
彼らの目に付かないよう曲がり角を曲がったところで、再び視界がブラックアウトした。










***









「…、…」


あたしを呼ぶ声が、段々と近付いてくる。


「…!!」
「いたた…若、…?」



あ、そうか。若の攻撃食らってバランス崩して…

なんて考えてたら、若があたしの頭に乗せていたタオルを取る。
そこでやっと、道場の休憩室にあるソファーに寝かせられてたことに気付いた。
滅多に表情を崩さない若の、貴重な貴重な慌てた顔。


、大丈夫か?」
「大丈夫、ちょっと違う世界に飛んできただけ…」

…おぉ、もっと心配そうな顔で見られた。

「あはは…ねえ若、あたしたちが幼稚舎にいた頃、不良に絡まれたの覚えてる?」



その表情が、心配から不思議そうなものへと変化するのを見ながら…



あたしは、この数十分の出来事を話し始めた。












「病院行くか?」


いや、第一声がそれですか。
確かに、幼稚舎の頃の話を突然された上に、
「あれあたしだったんだーえへへ」なんて、普通の人なら頭を疑うだろう。
でも、あたしは知っている。
"日吉若"という人物が、どういう人物なのか。
そして、今一体何を考えているのか、手に取るようにわかるんだ。


(…目が輝いてますよ、若さん…)



超常現象的なことが起こっているのに、面白がらないわけがない。
わくわく、という擬態語が似合いそうな状態の彼は、懐かしそうに目を細める。

「確か俺が幼稚舎の3年でが4年の時だったか」

懐かしむように目を細めた若に頷きかけ、「それでさ、」と話を続ける。
「あの時何て言われたのか聞いても、若答えてくれなかったじゃない」
「そうだったな」
「若の守りたい、"大切なモノ"って何だったの?」


…おぉう、盛大にむせたなコイツ。


「…気付いてなかったのか」
「え、は?何が?」
「何でもない。ほら、さっさと稽古の続きやるぞ」
「ちょっ…!話はまだ、」




「俺に勝ったら、教えてやるよ」



ニヤリと笑った顔はあの頃のままで、

(…敵わないんだから)

「よーっし、言ったな!今度こそ倒してやる!」
「フン、もしもに負けるようなことがあったら、駅前のシュークリーム買って来てやるよ」
「若のおごり!?よっしゃ、頑張る!!」






上手く話題がすりかえられたことに気付いたのは、
若によって再び地面に叩きつけられた(とは言っても、さっきよりは大分優しかったけど)後でした。







い つ か  の
(で、結局答えは何!?)






「守ろうと思ったら、守る必要もないほど強くなったからな」


そんな若の呟きは、あたしの耳に届くことなく風に乗って流れて行った。