ふわり、漂ってくる香りに、頬を緩める。
誘われるようにキッチンを覗けば、驚いたように彼が振り向いた。








   Flavor








「はーじめちゃん」
「来てたんですか。それならそうと早く言ってください」


そう言って、再びわたしに背を向けるはじめちゃん。
帰って来てたことも教えてくれないくせに。
そうぼやいてみれば、ああすみません、なんて答えが背中越しに返ってくる。


「わざわざ教えるほどのものでもないと思いまして」
「ひどい。待ってたのに」
「っ!」


勢いよく振り返ったはじめちゃんの顔は、案の定真っ赤。
わたしが笑っているのを見ると、口を尖らせてまたコンロに向き合ってしまった。
…まったく。はじめちゃんは昔から変わらない。


「まったく。は昔から変わりませんね」
「え、わたしも今同じこと考えてた。はじめちゃんって変わらないよね」
「そうですか?」
さっきまでの膨れっ面はどこへやら。
くすくすと笑い始める彼にちょっとだけ安心して、その隣でお湯が沸く様子を観察することに。


「はじめちゃん、今日は何作ったの?」
「今日は手作りではないですよ。後輩が取り寄せしていたものをもらったので、それを」

言いかけた言葉を遮るオーブンの音に、わたしは駆け出して扉を開ける。
「うわあ、スコーン!」
「…温めると美味しい、ということだったので」


呆れ顔のはじめちゃんは放っておいて、温まったスコーンを手際よく皿へと移動。
勝手知ったる他人の家、冷蔵庫からクロテッドクリームとジャムを取り出して。

「クリーム・ティー、よく覚えていましたね」
「当たり前でしょ?大好きなはじめちゃんに教えてもらったんだから」

今度は「はいはい」と軽く流されてしまった。

「もー、本気で言ったのにー」
「軽々しく好きだなんて言うもんじゃありません」
「はーいおかーさーん」

まったく、なんてため息を吐いたはじめちゃんは、それでもどこか機嫌よさそうに
紅茶缶を見比べている。



”One for you, One for me, One for the pot”...


幼い頃、拙い所作で紅茶の葉を掬っていたはじめちゃんが、歌うように囁いていた言葉が甦ってきた。

ひとつはあなたに、ひとつはわたしに。そしてもうひとつは…




「なに?」
「ミルクティーにしませんか」
「…はじめちゃん、わたしの心読めるでしょ」
「まさか。の心なんて覗いたら、煩くて頭痛がしてきそうです」

さらりと酷いことを言う。
膨れるわたしを見て、はじめちゃんは綺麗に笑った。


「心を読んだのではなく、データに基づいた確信です」

は、ミルクティーが大好きでしょう?
たまの帰省ですし、あなたの喜ぶ顔が見たいので。
…それに、心なんて読まなくてもわかります。



固まるわたしに、追い打ちをかけるように続く言葉。



「見ていればわかるものですよ、意中の相手の考えていることなんて」


さらり、と。
紅茶の飲み頃を告げるような声音で、そんなことを言う。



「…前言撤回。はじめちゃん、やっぱり変わった」
「ふっ…そうでしょう」
「軽々しく好きなんて言うもんじゃない、って言ったのはどこの誰だっけ」
「当たり前でしょう、何処かの知らない男にそんな言葉囁かれては困ります」

僕がいない間に、掻っ攫われたくはないですから。




立場逆転。
澄ました顔で、言うものだから。
今度はわたしが顔を真っ赤にさせて、口を尖らせる番だった。




「さあ、ティータイムにしましょう。ミルクティーが冷めてしまいます」




言われっぱなしはなんだか悔しいので、
彼のもとにに駆け寄って、耳元で囁く。



「                       」



するとはじめちゃんは嬉しそうに笑って、優しく抱き締めてくれました。






Flavor
     ("わたし"の世界は、あのミルクティーの香りから始まった)