机の上に散らばった、書きかけの手紙。
白い便箋が、夏の日差しを受けて眩しく輝いた。








   invitation








呼び出しのメールが来たのは、真夜中すぎのこと。
何となく眠れなくてごろごろ転がっていたわたしは、この時間に起きている仲間がいたことに
ほんの少し安堵した。




『日の出が見たい』



たったそれだけの文面。
宛名を見れば、見知った名前がずらずらと並ぶ。
きっとこの時間にはもう寝ている仲間たちがほとんどだろうに。


差出人は、幸村精市。
一体どういう意図があったのだか知らないが、就寝中の奴らからすれば
なんとも迷惑な話である。
それでもわたしは、携帯をいじって返信のボタンを押す。
きっと彼も、メールが返って来るとは"夢にも"思っていないだろう。



『4時に、校門で』



校門。わざわざ学校まで行けと。
まあ、行先は海だろうから、向かう方向は一緒だ。
そのメールにも了承の返事をして、再び携帯を放り投げた。







日の出が見たい。
その一文が、頭の中に浮かんでは消える。
このところ、幸村の様子がおかしいことには気付いていた。
それについて問うても、そうかなあ、なんて意味深な笑みで返されるから
触れて欲しくないのかと思っていた、けれど。


時間をかけて、彼がようやく発した心の声を、聴きたいと思った。









「遅い」
「うるさい、来ただけでもよしとしてよ」

待ち合わせの場所にいたのは、呼び出した張本人だけではなかった。
起きていた阿呆は他にもいたらしい。
優等生2人組(=元風紀委員たち)の姿はそこにはなかったけれども、それ以外の面々がそこにいた。


「おーおー、暇人がここにもいたのう」
ぴょこぴょこ揺れるしっぽが眠そうな仁王。

「呼び出されるなら赤也んとこでゲームしてなきゃよかったぜぃ」
「そろそろ電池切れっす…」
「俺もだぜ…」
いつもの仲良し3人は、揃って赤也の家にいたらしい。

「ねえ柳、それは寝てるの?起きてるの?」
「…精市、わざと言っているだろう」
眠そうな雰囲気も見せない柳は、いつもと同じ涼やかな空気を纏っている。
それにちょっかいを出している呼び出しの犯人:幸村も、眠気の欠片さえ見えなかった。


「真田も柳生も、メール返してくれなかったんだよね。寝てるのかな」

いい度胸だよね。そう言って笑う幸村に、気付かれないようにため息。
いくらなんでも可哀想だ。


「で?どうした、突然」
「メールの通りだよ。日の出が見たくなったんだ、みんなで」

…いつもの部長の気まぐれか。
きっとみんなの心の声も同じだっただろう。一気に死んだ魚のような目になったから。
それでも、幸村の号令にぞろぞろと歩き出す彼らも、どこかで幸村を心配していたようだった。

先頭を駆けていく赤也、その背中を小突きながら続くのは丸井と仁王。
柳とジャッカルはその後ろをゆっくりと付いていく。
そうなると、必然的にわたしの隣を歩くのは幸村、になる。


が起きてたなんてね。早寝早起きなんじゃなかったんだ?」
「なーんか眠れなくて。野郎だけよりいいでしょ?レディーがいると華やか」
「レディー?どこかにいたかな、誘ってこないと」

しれっとそんなことを言う幸村に膨れて見せながら、内心わたしはほっとしていた。
そんなわたしに気付いたのか、彼はいたずらっ子のような笑みを浮かべてわたしの背中をつつく。

「花火でも持って来ればよかったね」
「近所迷惑だよ。でもそうだね、やりたかったかも」
「みんなでやったことないだろ?だから、さ」

あと、こうして無駄に呼び出してみたかったんだ。そう言って幸村は空を見上げる。
無駄にって自覚してるんだね、そう返したら、当たり前だろ、と怒られた。





まだ仄暗い夜明け前の海。
その碧さが輝き始めるまでには少し時間がある。
案の定早く着きすぎてしまったわたしたちは、することもなく砂浜にいた。

そのうち、仁王と赤也は波打ち際で遊び始め。
眠い眠いと連発していたジャッカルと丸井は、柳が持参した敷物の上で死んだように倒れている。
わたしはと言えば、水遊びをしている2人から少し離れた位置で海に足を突っ込んでいた。


目線の先には、防波堤に腰かけて柳と何かを話している、幸村。
その様子はいつもと変わらないようで、実はどこか違う。
かと言って、具体的に違う点を言葉に出来ないけれど。


ぼんやりと、視線を水平線上に移す。
空は少しずつ東雲色に色付いていき、海の碧さは深みを増していく。
ああもうそろそろ日の出か、なんて思っていたら、ばちん、という激しい音。
振り向くと、さっきまで和気藹々と話していた(ように見えた)柳と幸村が、揉めているようだった。

一瞬、仁王と赤也と視線を交わす。
そして、どちらともなく駆け出した。


近づいてみれば、怒っているのは柳の方で。
幸村は諦めたような、それでいて泣き出したいような、そんな表情をしていた。
幸村の頬は熱を持ったように腫れていて、わたしはさっきの音の正体を知る。


「柳…!!どうしたのいきなり!」
「…」

柳はばつの悪そうな顔をしながらも、謝る気はないといったように口を閉ざす。

「柳!」
「…精市から聞くといい」

それだけ言って、柳は踵を返す。
帰ってしまうかと思ったけれど、彼は空いた敷物にひとり座り込んだ。

残った幸村を全員が取り囲むような形になったところで、幸村は困ったように笑う。
誰もそれに反応しないのを見て取ると、覚悟を決めた様子で口を開いた。




「プロになるために…海外へ、行くんだ」




零れてしまえば、ひどく簡単だった。
それだけにショックも大きく…わたしたちは、一瞬言葉を失う。

上を目指したいと、いつも言っていた幸村。
この選択肢は、ないはずがなかったんだ。


「…い、つ」

絞り出すように、丸井が問う。

「今日の、朝の電車で」
「大学は」
「昨日付で休学してる…けど、いずれ辞める、かな」

俯いたまま、それでもはっきりと幸村は言葉を紡ぐ。
その様子は彼の意志の強さを物語っていて、誰も何も言えなくなってしまった。


しん、と静まりこむ海辺。
潮騒の音だけが響く世界で、わたしは幸村に手を伸ばす。



ぱちん、という間の抜けた音。
彼は、痛いというよりも驚いたらしかった。
頬を押さえ、目を瞬かせている。


「早く言いなさいよ、馬鹿。そしたら、壮行会とか、いってらっしゃい会とか、」
「壮行会、って懐かしい響きじゃのう。中学ぶりじゃ」
「いってらっしゃい会…ってまんますぎるだろい」
「…っ、あんたら!そこはスルーするとこ!」


淋しい音の世界が、鮮やかに色を変え始める。


「あ、ちょっ!太陽!出てきたっすよ!」
「…ほぼ徹夜の目にはきついぜ…」
「夜が明けたぜよおおおおおお」
「仁王お前それやりたかっただけだろ」


暗く落ち込んでいた、海によく似た色の瞳が
新しい光を受けて、きらりと輝く。


「…精市」
「…柳、黙ってて、ごめん」
「弦一郎と柳生にも怒られろ。間もなく2人が来る確率100%だ」
「ゆきむらあああああ!!」


さっきまでの静かな潮騒は、もう聞こえない。












***











あれから間もなく…そう、本当にすぐ、幸村は立海を、日本を出て行った。
プロの仲間入りを果たしたという便りさえも本人からは来なくて、随分仲間内で文句を言ったものだ。
そしてもうすぐ、…彼が去ってから、3度目の夏が来る。

きっかけは、何だったんだろう。
彼が好きだといった花を見つけたからだろうか。
誰かがぽつりと、彼の話題を口にしたからだろうか。
何にせよ、ふと思い出した彼の瞳に、酷く心が揺さぶられた。



机の上には、封をした一通の手紙。
封をする、ただそれだけなのに、この封筒はここで夏を幾度超えただろう?
エアメールは初めてだから、宛名を書くところから緊張してしまった。
綺麗に閉じられたその封筒は、今か今かと旅に出る時を待っている。



"花火でも持って来ればよかったね"
"みんなでやったことないだろ?"

あのとき、彼が零した言葉を現実にするための招待状。
彼が来る確率は、柳風に言うと…100%、だろう。
記憶に残る姿から、どのくらい逞しくなったのだろう、と
想像して、私はひとり笑みを浮かべた。






invitation
(ようやく、向き合う覚悟が出来たから)(きっときみも来てくれるでしょう?)