KINGDOM―POSESSION―
夏休みも終わりを間近に控えた、とある日のこと。
開け放した窓から、祭り囃子が聞こえて来た。
夏休みの宿題の見せ合いをするために集まっていたKINGDOMのメンバーは、その音に手を止める。
集合していたのは、当然KINGDOMのオフィスだ。
彼らは事件がなくとも、暇だと何となくオフィスに集まるのが習慣になっていた。
今日は2年生組のみが集まっていて、日吉・鳳・樺地の1年生組はいない。
彼らはきっちりと宿題を終わらせているため、集まる必要はなかった。
「何や、近くでも祭りでもやってるんか?」
「そうみたいだよ?ポストにチラシ入ってた」
宿題はとうに終えて、一方的に教える(もしくは見せる)側に回っていた忍足が口火を切る。
同じく宿題を終えていたが、その隣で答えた。
「マジで!お祭り行きたい!!」
「俺も行きたいC!」
「バカ。お前らは宿題全然終わってねぇだろうが」
「宍戸だって終わってねぇじゃんか!」
「俺はあとこれだけやったら終わりだぜ?」
宿題が終わっていないのは、ジロー・岳人・宍戸の3人だった。
一番最初に泣きついて来たのは、岳人だ。
ジローは当初は危機感がなかったので、岳人に誘われる形となった。
宍戸は8月後半に入って少しずつやっていたのか、終わる目処がついたらしい。
最後に残っている数学の問題集を指差し、まだ宿題がたくさん残っている2人に誇らしげに言う。
「…お前ら、無駄口叩いてる暇あったらさっさと解けよな…」
「だって3時からずーっとやってんだぜ!?息抜きだって必要だって!跡部!」
「そうだよ〜。ちょっと休憩がてら、お祭り行こうよ〜」
「でもお祭りに行ったら『ちょっと』じゃ済まないでしょ」
デスクで何かしら作業をしていた跡部が呆れ混じりに零すが、ジローと岳人には効果がないようだ。
滝も苦笑混じりに指摘をするが、暖簾に腕押し状態。
もはや集中力の切れた彼らに成す術はなさそうだ。
その様子を見て、忍足がシャーペンをテーブルに置き、口を開いた。
「まぁ…一応あと数日あるんやし、今日は息抜きでもええんやない?」
「侑士!お前イイヤツだな!」
「忍足、さっすがー!!」
「その代わり、ちゃんと31日までに宿題は終わらせるんやで?」
「「はーい!!」」
「…ったく、俺は後で泣きを見るハメになってもしらねぇからな」
跡部は大喜びするジローと岳人を見て溜息を深くしながらも、作業を中断してデスクを立った。
その様子を見て、は不思議そうに声をかける。
「あれ…?跡部も行くの?」
「コイツらだけで行かせたら収集つかねぇからな」
「こういうのは皆で行った方が楽しいしね」
「っちゅーかは行かないんか?」
「え?あー…考えてもなかった」
むしろ一緒に行くのが当然という流れに、は驚いていた。
てっきり行きたい人間だけで行くものだと。
跡部なんかは人ゴミが嫌いそうだというイメージがあったものだから、絶対行かないと思っていたのだ。
「なぁなぁ、折角行くんなら浴衣とか着替えて行こうぜー!」
「日吉とかも声かけようよ〜」
「じゃぁ集合は1時間後にオフィスで。お前ら遅れんなよ?」
「「了解ー!!」」
跡部の言葉を受けて、ジローと岳人は慌ただしくオフィスを飛び出した。
それを見送ってから、はとあることに気付く。
「…あ」
「何や?」
「私…浴衣持ってないや」
「えぇ!?持ってないんか!?」
「中学の頃に着てた浴衣は、ちょっと小さくなったから処分しちゃったんだよね」
「そんなぁ…の浴衣姿、楽しみにしてたんやけど…」
「大方、忍足のことだからそれが目当てだったんだろ?」
「うっさいわ!宍戸っ!!」
「…あぁ、の浴衣なら俺が用意する」
「…え?」
跡部はそれだけ言うと、どこかに電話をかけ始めた。
周囲が不思議そうにその様子を眺めていると、跡部は肩に電話を挟んで追いやるように手を振る。
それを見た忍足と宍戸は「まぁ、跡部に任せておけばいいか」とオフィスを出た。
「じゃぁ僕も荷物だけ取ってこようかな」
「荷物だけって…着て来ないの?」
「の仕立てをするのが僕の役目だからね。じゃぁ、後で」
相変わらず中性的な微笑を浮かべて、最後に滝がオフィスを出た。
取り残されたは電話中の跡部に目を向ける。
すると2人の目が合って、跡部が不敵な笑みを浮かべた。
(……な、何か嫌な予感がする…)
約束の1時間後。
オフィスに集まったメンバー達が見たのは、浴衣に着替えてぐったりしているだった。
身につけている浴衣は、淡い紫色で、所かしこに濃い紫色の菊が描かれている。
シックで見るからに上品そうなそれは、跡部が用意させたものだ。
ちなみに他のメンバーも皆揃って浴衣を身に纏っていた。
それぞれの個性に合った柄の浴衣で、着崩れすることなく着ている。
そんな中、鳳が代表してぐったりしているに問いかけた。
「…何でそんなにぐったりしてるんですか?」
「大変だったのよ…着せ替え人形の気持ちがよーく分かったわ…」
「跡部が外商の人を呼んで、色々と試着させてもらったからね」
「外商?」
「ほら、百貨店の人が個人宅に来て商売をするヤツ」
「あー…なるほど」
滝からの解説を聞いて、鳳を含めた皆が納得したように頷く。
浴衣の試着は普通の服とは違って大変なのだ。
しかし、そんなにはおかまいなしに、お祭り気分の岳人とジローは「早く行こう!」と騒いでいる。
「おら、ぐだぐだしてねぇぜさっさと行くぞ」
「「おー!!」」
* * * * * * * * * *
「おー、随分賑わっとるなぁ」
一行が向かった先は、地元の神社だ。
普段は静かで地味な空間が、今は人で賑わい、提灯で彩られている。
呼びこみの声が飛び交い、空気に活気が満ちていた。
「俺、まずは綿あめ食いたい!」
「ったく…ガキじゃねぇんだから落ち着けよ…」
我先に、と声を挙げた岳人に跡部が呆れ顔を見せる。
しかしそれには構わずに、お祭り気分のジローと岳人はさっさと歩き始めた。
この人ゴミの中では、あっという間にはぐれてしまいそうになる。
「ねぇ、この人数で移動するのは無理があるんじゃない?」
「そうですよね。待ち合わせした方がいいかもしれないです」
「…じゃぁ1時間後に、そこのベンチで待ち合わせだ」
と鳳の提案を採用し、跡部が待ち合わせを決める。
それを聞いたジローと岳人はさっさと輪から離れた。
残されたメンバーも、適当に数人ずつで移動を始める。
「じゃぁ行くか。長太郎」
「そうですね。最初はどこ行きます?」
「俺、射的やりてぇんだよな〜」
宍戸・鳳のコンビは当然の流れで、2人で歩き出した。
それを見送った後、忍足がすかさずに接近し、肩に腕を回す。
「なぁなぁ、は俺と一緒に行かへん?」
「イや」
「…!!」
普通の女子ならば蕩けそうな甘い笑みを浮かべる忍足に、がにべもなく切り返す。
あまりにもバッサリとしたその反応に、忍足は閉口した。
そんな忍足には構わず、は日吉の腕を強引に取る。
「私は日吉と行くから」
「…そんなぁ…!!」
「ちょっと、先輩勝手に決めないで下さいよ!」
「日吉のことだから、屋台とかには行かないつもりなんでしょ?
私も静かに過ごしたいもん」
「……まぁ、ならいいですけど…」
「ほら、忍足もしょんぼりしてないで、行こうよ。まぁ、お相手は僕だけど」
「……おぅ…」
見るからに落ち込んだ忍足を連れて、滝が移動を始める。
それを冷めた目で見つめながら、跡部は樺地に「行くぞ」と声をかけた。
どうやら跡部は樺地と行動を共にするらしい。
彼らの後ろ姿をしばらく眺めてから、は日吉の方へ向き直った。
「どうする?日吉」
「俺は元から神社の方に行く予定でしたけど。
祭りの時は、きちんと神様に挨拶をするべきですからね」
「…なるほど」
「いいんですか?屋台見なくて」
「うん。今はお腹空いてるわけじゃないし、後で少し見ればいいかなって」
日吉が先に歩き始める後を、が少し遅れてついていく。
屋台が並ぶ方から離れると、薄闇の中に石段があった。
日吉はまるで来たことがあるかのように、そこを上がっていく。
両側を木に囲まれた石段は、下から見上げると鬱蒼として見えた。
階段の先が、まるで果てのない闇に続いているようだ。
何となく寒気を感じたは、少しテンポを速めて日吉に追いつこうとする。
「…早いですか?歩くの」
「え、いや、そういうわけじゃないよ。気にしないで」
「そうですか」
下駄が石段を打つ音がいくらか続いた後、木々が拓けて社が見えた。
こじんまりとした社で、人の気配は全く感じられない。
参道の両脇に行灯があるため、石段よりは明るく感じられるが、人の姿がないのは不気味だった。
しかし日吉は特に気を止める風もなく、社の前へ歩いて行く。
マナーに則って、御手水舎で手や口を清めてから、参拝をした。
あまり詳しいマナーを知らなかったは、日吉の行動を見よう見まねだ。
参拝を終えたは、感心したような声を上げる。
「日吉、すごいね」
「何がですか?」
「こういうマナー、きちんと知ってるってすごいなぁって」
「…ウチでは、こういうの厳しく躾けられたので」
「あぁ、道場って厳しそうだもんね」
「マナーを守らないと、祖父に思い切りげんこつで殴られました」
「あはは…それは痛そう」
日吉が昔を思い出したのか、顔を顰めている。
そんな様子を見て、は苦笑した。
このまま屋台が並ぶ方へ戻ろうと、2人は歩き出す。
しかし、そんな2人を呼びとめる声がした。
「お二人さん」
「「…っ!!」」
「あぁ、驚かせてすまないね」
今まで誰もいなかったはずなのに、急に呼ばれた2人は慌てて振り返った。
すると後ろに立っていたのは初老の男性だ。
着ている服装からして、どうやら宮司だと思われる。
その男性は柔らかい笑みを2人に向けた。
「…あの、何か?」
「いや、若いのに感心だと思ってね。祭りに来たのに、きちんと挨拶に来る人なんてほとんどいないから」
「あ、ありがとうございます」
「折角だから、お茶でもどうだい?」
思わぬ誘いに、日吉とは顔を見合わせる。
待ち合わせ時間までは少し余裕があったし、断る理由はなかった。
「…じゃぁ、少しだけ」
* * * * * * * * * *
「ふぇっくしゅんっ!!!」
「おわっ!?何だよジロー!?」
急に大きなくしゃみをしたジローに、岳人は驚いて肩を震わせた。
振り返れば、ジローが食べかけの綿あめを手に腕の辺りをさすっている。
鼻をすすっているその姿は、どこか寒そうだ。
「…何だよ?寒いのか?」
「うーん…何だろ?ちょっと寒気がする…」
「もうすぐ学校始まるのに風邪かよー?今日全然暑いじゃんか」
「俺もさっきまでは暑いと思ったんだけどなぁ…」
残りの綿あめを口に含んで、割り箸を咥えながらジローは首を捻る。
岳人はそんなジローを風邪菌を扱うように遠ざけた。
そろそろ2学期が始まるのに、風邪をひきたくはないのだ。
「ジローのことだから、クーラーかけたまま寝たんじゃねぇの?
頼むから移すなよな!」
「…何だよぉ…」
「とりあえず、そろそろ待ち合わせ場所に行こうぜ?」
「んー」
ジローは相変わらず肩をさすりながら、岳人の後ろを歩く。
そして待ち合わせ場所であるベンチへと辿り着いた。
既に、ほとんどのメンバーが集まっている。しかし、全員ではない。
「あれ?日吉とは?…っつーか、侑士何スネてんだよ?」
「…別にぃ」
「と一緒に行こうとして拒否られたから拗ねてんだよ」
「宍戸!!」
「しかも、その2人が待ち合わせに来ないんだもんなぁ?」
「…け、景ちゃんまで、何なん…!?」
いないメンバーに気付いた岳人が声をかけると、いつもより落ち込んだ様子の忍足が反応した。
その原因を宍戸と跡部が岳人に告げたことで、岳人は自分がいなくなってからのことを知ることとなる。
拗ねている原因を聞いた岳人は、苦笑しながらもポンポンと慰めるように忍足の肩を叩いた。
すると、すぐにの声と小走りな足音が聞こえる。
声のする方を向けば、「ごめん」と謝りながら走ると、その少し後ろを悠然と歩く日吉の姿があった。
「ごめん!遅くなっちゃった」
「別にいいけど、珍しいな?お前らが遅れるなんて」
「神社の方に行ってたら、宮司のおじいさんにお茶に誘われちゃって…」
「俺、てっきり日吉が抜け駆けしたんかと思ったわー」
「…ねぇ、ところでジローは何でそんなに顔色悪いの?」
「ちょっ!、無視せんといて!?」
の姿を確認した忍足は、態度を一変させていつものように振舞う。
しかし、それには構わずにがジローに怪訝そうな目を向けた。
実際、ジローはの言葉通り顔色が良くない。
先程は寒がっていただけだったが、明らかに顔色が悪くなっていた。
「何か、ジローのヤツ、風邪ひいたっぽいんだよ」
「そうなの?」
「うーん…何か、急に寒気がしたんだよねぇ…」
「しかもさっきより顔色悪いぜ?大丈夫かよ?」
メンバーがジローの顔色を覗きこむ。
いつも太陽のように元気で朗らかな様子はなりを潜めて、どこか顔が青い。
どうしたものか、とメンバー同士で顔を見合わせる。
そんな中、の足元を小さな手が掴んだ。
驚いたが足元を見ると、小さな少年の姿。
「…え?」
「ママ…」
「……!?」
「ママ…」
急な登場人物に、メンバーは目を見開いた。
ママと言われても、がママな訳はない。
それでも聞かずにいられないのは自然の摂理だった。
「…、お前いつの間に…?」
「誰の子なんや!?」
「あのねぇっ!!宍戸も、忍足も、私が母親なワケないでしょー!?」
「…ママぁ…」
「でもママって呼んでますよ?」
「日吉まで何なの!?」
「…ふぇっくしゅんっ!!!」
場が混乱してきたところで、それを吹き飛ばしたのはジローのくしゃみだった。
ピタリと皆が口を閉じ、ジローに視線を集中させる。
それに気付いたジローは、少し恥ずかしそうに「えへへ…」と頭を掻いた。
「何か急に寒くなって来ちゃって…」
「本当に顔色悪いけど、大丈夫かよ?」
「…さっきより寒いかも…」
「早く帰った方が良いんじゃねぇの?」
「…かなぁ?」
「ね、ねぇ、ちょっとこのコどうするの!?迷子でしょ…?」
ジローを心配する一方で、は困惑の声をあげる。
足元にひしとしがみついた少年は、ずっと「ママ…」とぐずるばかりだ。
一番子どもウケが良さそうな鳳が、しゃがみ込んで少年に視線を合わせる。
「えっと…君、ママとはぐれちゃったの…?」
「……ママ…」
「えーっと……」
「なぁ、それぐらいの子どもって…もう少し喋るよな?」
まともな返答がないことに困った鳳に対して、宍戸が怪訝そうに問う。
少年は5歳ぐらいに見える。小学校に入っていないにしても、幼稚園には入っているだろう。
そんな年齢の子どもが「ママ」の一点張りというのはいささか不振だった。
宍戸が顔を覗き込んでも、反応はない。
「…もしかして…」
「日吉…?」
「ちょっとスイマセン」
「??」
黙っていた日吉が声を発したかと思うと、少年の傍に歩み出た。
そして暫くその様子を黙って見ていたかと思うと、いきなりその少年の背中を少し強めに叩きだす。
急なその行動に、宍戸が慌てて止めようとする。
「おい!?日吉、何やってんだよ…!?」
「ちょっと待っててください…!」
「こんな小さいコ相手に何やって…」
数回叩いた後、日吉はピタリとその手を止めた。
呆気にとられた周囲は、息を呑むようにその様子をじっと見つめる。
沈黙を破ったのは、少年の声だった。
「あれ…?ママは…?」
「え?」
「ママ、どこ…?」
先程まで「ママ」の一点張りだった少年が、の足から離れて辺りを見回す。
まるで何かの呪縛から解けたかのようだ。
そして母親の存在を泣きそうになりながら、必死に探している。
するとどこかから女性の声が割り込んできた。
「しゅんちゃん!!」
「ママ…!!」
女性の声に誘われるように、少年がそちらへ走っていく。
少年を抱きあげた女性が、たちの存在に気付いた。
「あ、ウチのコがすいませんでした…」
「え?あ、いえ…大丈夫です」
「ありがとうございました」
代表してが「とんでもない」と手を振る。
女性が会釈をしながら去った所で、今度は視線が日吉に集中した。
「なぁ、今の何やったん…?」
「……先輩、さっきの宮司さんの話覚えてます?」
「え?……ま、まさか……」
日吉に話を振られたが、顔を青ざめさせる。
鍵は、日吉とが一緒にお茶をしたと言う宮司との話にあった。
「…その、5年前にね、このお祭りで事件があったみたいで…」
「事件って?」
「どうも、奥の方に池があるみたいなんだけど…」
「あぁ、そういやあったな。池」
「そこにね…落ちて死んじゃった男の子がいたんだって」
「……!!」
「お母さんとはぐれちゃって、迷ってる時に…池に落ちちゃったらしいんだけど…」
宮司は、その事件以来祭りに人が来なかったこと、でも今年は人が多くて嬉しいということをたちに話していた。
まさか、その話がこんな形で出てくるとは思わなかった。
「その子どもの霊が、さっきの子に憑依していたんじゃないかと思います」
「…日吉!?」
「じゃぁ、さっき叩いたのは…除霊なのか?」
「いえ。あれは、ちょっと追いだしただけです。俺は専門家じゃないので除霊は出来ません」
「……何か信じられねぇ話だな…」
「でも、辻褄は合うんですよね…」
宍戸は眉を寄せて首を捻った。
一方の鳳は、日吉の話を受け止め始めている。
日吉は怪談のような「こういった話」の方面に明るいのだ。
幽霊の存在を信じるか否かという前提はあるが、仮説としては納得できる。
「…で、その追い出された霊はどこに行ったんだ?」
「それは…
跡部が追い出された霊の行方を尋ねる。
しかし、答えようとした日吉を遮る声があった。
「…ママ!」
「「「……ジロー!!?」」」
ガバリ、と勢いよくジローがに抱きつく。
普段から抱きつくことはあったが、腕をしっかりと回して「しがみついている」と表現してもいいくらいだ。
の胸元に嬉しそうに顔を埋めるジローに、メンバーはぎょっとする。
抱きつかれているは、羞恥と驚きで唇を震わせていた。
「ちょ、ジロー!!離れてってば!」
「さすがに冗談が過ぎるぞ!」
「っちゅーか一人で抜け駆けなんて許さん!!」
「……侑士、それ少し違くねぇか?」
「…待って下さい」
「日吉?」
「まさか…ジローの中にさっき追い出した霊がいるとか言うんじゃねぇだろうな」
「……そのまさかですよ。跡部部長」
跡部の問い掛けに、日吉が深い溜息とともに返事をする。
つまり、先程少年に憑依していた子どもの霊が、今度はジローに憑いてしまったのだ。
まさかの展開に、跡部が頭痛に悩まされているようなポーズを取る。
「っつーか、何でジローなんだ?」
「ジロー先輩が、とり憑かれやすい体質なんだと思いますよ。
寒がってたのも、『こういうこと』に敏感だからでしょう」
「…アイツだけ寒がってたのは、本能で気付いてたからってことか」
「でも気配に敏感なは気付いてなかったんだろ?」
「う、うん…私は何も…?」
「気配に敏感なのと、霊感が鋭いのは別物だからじゃないですかね」
岳人に質問されたは、戸惑いながらも首を振った。
人の気配に敏感なはずのでも、霊の気配には気付かなかったのだ。
「ね、ねぇ…ジロー…?ちょっと離れて欲しいんだけど…」
「……ママ…?」
「ぅ…」
しがみついてくるジローを、がやんわりと外そうとする。
しかし手に力を入れると、ジローは悲しそうな表情をした。
無垢なその瞳に、は何も言えずにそっと手を下ろす。
そして懇願するような目で日吉を見た。
「ねぇ、日吉…さっきみたいに追い出せないの?」
「……やってみますけど、また繰り返しですよ?」
「でも、このままじゃ…」
「じゃぁどうすりゃ良いんだ?」
「このテの話って、霊の未練を解消してやればいいって言うよな」
「このコの未練を解消してあげれば良いってことだよね」
「でも未練って…?」
メンバーが困惑したまま、とジローを見つめる。
霊の存在すら初めてで戸惑っているのに、まさか除霊をしなくてはならないなんて。
本やら何やらで何となく情報としては知っていても、具体的な対処法は分からなかった。
「未練って…やっぱり、ママに会いたいのかな?」
「でもコイツの名前もわかんねぇのに、親なんて探せねぇんじゃねぇの?」
「探せそうか?滝」
「…うーん…さすがの僕でも、すぐには難しいかな…」
「この話をした宮司は、子どもの名前言ってたか?」
「いえ、特には」
「……ねぇ、とりあえず…このコが亡くなった場所に行ってみるのはどう?」
「落ちた池ってことか?」
「うん。何か…反応あるかなって…」
「そうですね。確かに強烈な想いが残ってるでしょうから、反応はあるかもしれません」
は、おずおずと手を挙げて、ジローの頭を撫でる。
するとジローは無邪気な子どものように、満面の笑みを浮かべた。
* * * * * * * * * *
祭りの喧騒から遠ざかるように歩いて、森の奥の池に向かって歩く。
先程まで頑なにしがみついていたジローは、今はが手を引く形で歩いていた。
「こうして歩いてると、普通のジローと同じなんだよなぁ…」
「でもいつもより幼い気がしねぇ?」
「いつも幼いだろ」
「…まぁ、確かに。あんまり違和感ねぇよな」
の少し前方を歩いている岳人と宍戸が、ジローの様子をちらちら見ながら会話をしている。
一方のジローは、と手を繋いで歩いているのが嬉しいのか、ニコニコと笑みを浮かべていた。
「馴染んでしまったから、抜けにくくなってるのかもしれない…」
「そういうことってあるの?日吉」
「分からない。でも、さっきの少年の時はあっさり追いだせたのに、ジロー先輩からは全然出てこなかった。
ということは、馴染んでしまったって考えるのが妥当だろ」
「…そっか…」
とジローの後方を歩いていた日吉が、自分の手を見下ろす。
鳳は、その横で表情を曇らせた。
移動する前に、一度霊を追い出せるか確かめてみたのだ。
しかし、さっきは追いだせたものが出来なかった。
霊がジローの中が居心地良くて離れたがらないのか、それとも…
「…やだ」
「じ、ジロー…?」
「ここ、やだ…」
急に、とジローが足を止めた。
後ろを歩いていた日吉・鳳はその背にぶつかるようにして足を止める。
先頭の方を歩いていた跡部や忍足たちも様子がおかしいことに気付いて振り返った。
ジローがの手を引くように立ち止まっている。
先程までは「ママ」としか言わなかったのに、初めて反応を見せていた。
「この先、やっぱり池だから…嫌なのかな?」
「まぁ…良い思い出じゃねぇよな…」
「怖い…」
再びに強くしがみついて、ジローは動きたがらない。
自分が死んだ場所に行きたくないというのは、無理もなかった。
強く恐怖の感情が染みついた場所に行きたがらないのは普通だ。
目的地を目前にして、メンバーは困惑する。
「…どうする?」
「とりあえず、俺らだけでも様子見に行って来るか。行くぞ、忍足」
「了解」
跡部は忍足を連れて、池の方へと歩き出す。
暫くして木々が途切れ、視界が拓けた。
真ん中にぽっかりと大きめな池が広がる。
静かな水面には、今夜の月がくっきりと映っていた。
その脇に一人の人が立っているのを、跡部と忍足は見つける。
「…おい、忍足」
「あぁ、あの人…」
まさか、こんな場所に人がいるとは思わなかったのだ。
ここにいる理由として考えられるのは、ただ一つ。
ここで起きた事件のことを知っているから。
立っていた人物の足元に、花束のようなものを確認した二人は、確信を得た。
「あの、ちょっといいですか?」
「はい…?」
忍足が声をかけると、そこにいた人物…女性、は不思議そうに跡部たちを見上げる。
そして全ての話を終えた後、女性はジローたちが立ち止まっている辺りの方へ走って行った。
ガサガサと慌ただしい足音と共に、やジロー達の前に急に女性が姿を現した。
その女性は跡部と忍足が見つけた人物だったが、達は当然知る訳もなく。
急に人が現れたことに、皆が驚きを隠せなかった。
しかし、その女性が小さな声で「ひろき…?」と呟くのを、しっかりと耳にした。
「ひろきって…もしかして、あの…池で亡くなったコの…?」
「ひろきは、どこにいるの?」
「……ママ…?」
戸惑いつつも問い掛けるに、女性は縋りつく。
すると、先程まではにべったりだったジローが離れた。
そして、女性の方へゆっくりと手を伸ばす。
「…ひろき?」
「ママ?」
「ひろきっ…!」
「ママ…!」
女性が、感極まって声を詰まらす。
ジローもまた、引き寄せられるように女性に抱き着いた。
「跡部の読みはさすがやな」
「忍足…跡部…」
「亡くなったのが祭りの時だったら、今日が命日ってことやろ?
その日に合わせて、母親が花とかを供えに来てるんやないかって」
「そしたら、丁度会ったってわけか?」
「そう言うことだ」
少し遅れて合流した跡部と忍足の話に、ようやくメンバー全員が納得した。
こんなタイミング良く母親が現れるとは思っていなかったので、驚いていたのだ。
しかし、跡部の推測は尤もで、筋が通っていた。
考えてみれば、当然のことだ。
「ひろき…」
「ごめんね、ママ…」
「…ひろき?」
「…ありがとう」
「ひろき!!待って…!!」
女性が必死にジローの背に手を回し、呼びとめる。
しかし次の瞬間、ジローの身体から力が抜けて崩れ落ちた。
「ジロー!!」
「大丈夫か?ジロー…!」
「うーん…」
ジローはその場に座り込んでいたが、意識はあるようだ。
いつものように眠そうな顔をしながら、メンバーを見上げる。
「…ただいまぁ」
「お前…心配させんなよなぁ!?」
「……ひろきは?ひろきは、どこ行っちゃったの…?」
母親である女性は、ジローの傍に膝をついて、その肩を揺さぶる。
確かにいたはずの「ひろき」の気配が、今は感じられない。
その事実を受け入れきれないようだ。
「ひろきくん、ママに会えて…安心したんです」
「え…?」
「ずっと、ママに会って、伝えたかったって言ってました」
ジローは、女性の手をそっと握って、にっこり笑う。
「ひろきくんは、これでようやく…ゆっくり休めるんです」
女性は、ジローの言葉に涙を溢れさせた。
でも、しっかりとジローの手を握って、必死に笑みを浮かべた。
まるで、「ひろき」を安心させようとするかのように。
* * * * * * * * * *
夏祭りの翌日、メンバーはとある霊園を訪れていた。
昨日の「ひろき」の母親に、ぜひ墓参りをして欲しいと言われたのだ。
夏休みが終わる前に、とメンバーは今日墓参りをすることに決めた。
蝉が相変わらず騒がしい中、皆で墓前で手を合わせる。
目を開けた先には、綺麗に磨かれた小さな墓石が佇んでいた。
「…にしても、まさか夏休みの最後にこんな幽霊騒ぎに巻き込まれるとはな…」
「本当、ビックリでしたよね」
「俺もビックリしたC〜」
「お前は呑気に取り憑かれてただけだろ!」
「ひろきくんに身体を貸してるのだって、結構大変なんだよ?」
「貸すって…お前なぁ…」
宍戸と岳人の言葉に、ジローが反論する。
取り憑かれていたジローの話では、自分の意志で身体を貸していたと言う。
ママに会いたいという願いを叶えてあげるために、身体を貸したのだ。
しかし、他の精神に身体を操られるというのは想像以上に消耗が激しいのだとか。
おかげで、昨日はあの後全然動けなかったのだ。
仕方なく樺地がジローを背負って移動していた。
「でもさ、貸すとかって…怖くなかったの?」
「うーん、悪い霊じゃないって思ったから」
「…何で?」
「何となく!」
「まぁ、今回は大事にならなかったから良いですけど…。
次からはあんまりやらない方が良いと思いますよ?
今度から神社とか霊園とかに行く時は、これ着けて下さい」
「…何これ?」
日吉がジローに手渡したのは、黒い石がいくつも繋がれた数珠。
それを日吉は強引にジローの腕に通す。
「これは、霊石で出来た数珠です。
一度身体に霊の受け口を作っちゃうと、とり憑かれやすいんですよ。
体質的にも霊感がある人は霊を引き寄せやすいですし、着けてください」
「これで防げるの?」
「一応魔よけの御守りですから」
「ふーん…?」
ジローは自分の腕に通された数珠を、興味深げに眺める。
あまり自身では事の重大さに気付いていないようだ。
「まぁ、これで一件落着やな」
「あぁ。成仏出来たんだろうし、あの母親も安心出来ただろ」
跡部が飾られた仏花に軽く触れ、墓前から歩き出す。
メンバーも墓石を一瞥してから、倣って足を踏み出した。
「ねぇ、そう言えばさ…ジローってとり憑かれてた時って意識あったの?」
「うん、一応あったよ?何で?」
「っちゅーことは何や、に抱き着いてた時も意識あったっちゅーことか!?」
「もちろん。ちゃーんと、感触も覚えてるよ〜」
「…!!ジローっ!?」
「ちなみに、どれくらいやった?」
「多分Aの…」
「わー!!それ以上言わないで!!!」
にかっと笑うジローに、忍足が肩を寄せる。
恥ずかしいことを暴露されそうなは、慌てて叫んだ。
しかし耳ざとく聞いていた跡部がニヤリと笑う。
「何だお前Aなのか」
「うっさい!跡部…!!あんたそれセクハラよ!?」
「…そうか。取り憑かれたフリしたら、抱き付いても許されるっちゅーことか…」
「忍足…。アンタそれ実行したら本気で怒るからね…?」
「タンマ!冗談やって!」
ぶつぶつと呟いていた忍足の胸倉を、が掴んだ。
その目には殺気が宿っていた。
いくら女子とは言え、はきちんと武術の訓練を受けている。
そのに本気で攻撃をされたら、それなりに痛いだろうと忍足は察知していた。
「ねぇ、皆楽しそうなのは構わないけど…宿題が終わっていない人はいいのかな?」
滝がにっこりと笑みを浮かべて、指摘をする。
それを聞いて、宿題が終わってないジローと岳人は「やべっ」と声を揃えた。
「お、おい!早く帰って宿題…!!」
「俺らは終わってるぜ?」
「でも、教えてもらえねぇと終わらねェし!!」
「そうだよ!早く帰ろうよ〜」
「ったく…仕方ねぇな…」
跡部の両手を、ジローと岳人が一生懸命引っ張る。
それを見て、周囲のメンバーが仕方ないと苦笑しながら歩き出した。
しかし、歩き出した中でだけが立ち止まる。
「…あれ?何か聞こえなかった?」
「聞こえたか…?」
“…ありがとう。お兄ちゃん、お姉ちゃん”
その声は、鼓膜を震わせたというよりは胸の中に染み込む感じの声だった。
気付いたメンバーは、表情を固まらせる。
「…俺、聞こえた…」
「俺も」
「俺もだ」
「…僕も」
「俺もです」
「俺もー」
そして、顔を見合わせた。
背筋が何となく寒くなった気がして、ぶるりと身を震わせる。
声の主には心当たりがあった。
「か、帰るぞ」
「おぅ!」
何となく先程よりも早いペースで、メンバーは歩き出す。
でもジローは一度立ち止まって、振り返った。
そこには墓石がいくつも立ち並ぶのみ。
「バイバイ、ひろきくん」
ジローは誰にも聞こえない小さな声で呟いて、そしてそこから走り去った。